私は早くから、しつけは、裁縫のしつけのような
布地と布地をぴったり合わせる「美」のようなもの、と提言してきました。
10年経ってもなかなか変化しないこの世界で、理解されるわけないわなぁ^^;;;
と改めて萎えています。
が、変わらず提言し続けたいです。
「犬のしつけをお願いします。」
と言うようにものすごくざっくりとした依頼を受けることが多いのですが
飼い主さんの頭の中には
叱ってほしい
叱って我慢させてほしい
コマンドで叱られている意味を教えてほしい
それをしてくれるのがトレーナーなんだ、ドッグトレーニングなんだ
という誤解が住み着いているようです。
というか、実際そうしてくれると言う専門家がいるので厄介ですね。
飼い主さんも、そういう専門家も、口をそろえて言います。
この犬は、○○だから。
って。
この、○○の中にはいろいろな言葉を入れて犬にラベルを貼りつけます。
○○な犬だから仕方がない
良い意味で早いうちにこのように諦める人は多いですが、
犬は自力で人間の暮らしに馴染み、
「何もしなくてもうまく行くものよ~。」
と言う大らかな意見を口にする人も少なくはないですよね?
誰でも、どんな動物でも
学習し続けます。
犬から学びの機会を奪わないようにしないといけないです。
ここからは、一般公開にした犬の森の過去記事からです。
すべて動物は、よく生きたい、快適に暮らしたい 自分を守りたい、
不安は嫌だ
そういう思いから、
嫌なことは避け、良いことが起きるように行動を選択します。
犬の学習の仕方と書いていますが、人間も同じですね。
学習の仕方には 連合学習と非連合学習とがあります。
連合学習とは 古典的条件づけとかオペラント条件づけとかの、条件づけの学習を指します。
非連合学習というのはそれ以外の学習の仕方ですね。
刷り込みとか、模倣的な学習とか。
見て覚えるというものとかですね。 社会的学習とも言います。
そういう大きなくくりで、犬と人との暮らしを考えて より暮らしやすいように学びます。
そのためには
行動分析学(心理学)と動物行動学(生物学) という学問の基礎が欠かせません。
ということで、犬の森はその両輪で基礎的な学びを推進しています。
はじめての、という割には難しいのですが、この本のはじめに中の一文をご紹介します。
すべての出来事にハウツーを示すことは不可能です。
子供や大人の人と一緒に勉強したり働いたりすることを大変楽しいものにしていくことは、すべての人が一人ひとり違っていて、ひとつの手続きですべての人に効果的のある方法はないという認識から始まります。
問題をうまく解決するために、自分自身のオリジナルなレシピを応用行動分析学の原理を使って作れるようになってほしいと思っています。
応用行動分析の原理をうまく使いこなすためには、頭の柔らかい人の熱心で積極的な参加が必要です。現在のところ応用行動分析は最も強力な指導システムですから、適切で倫理的な使い方を学んでほしいと望んでいます。
適切で倫理的 ここは犬の森の土台でもあります。
以上転載でした。
学ぶことによって学ばない人との間に意識の溝が大きくなって
生き難さを感じたりしますが
それをじっとこらえて、さらに突き抜けて行くと
自分のせいで生き難いのではないとしっかりわかるので
生きやすくなると思います。
ここまでをざっくり言うと
学びは自分を助ける
(笑)
ものすごくいろいろ端折りました。
「こんな吠える犬を連れていて恥ずかしい」
と、ある飼い主さんに言われたのですが、もしその犬を今日から私がお世話をするとします。
私は恥ずかしくないです。たとえその犬が私の犬でも。
じゃあ、どうして恥ずかしい恥ずかしくないという差ができるのか?
私には対処法があるから。
でしょうか?
同じように大変な犬と暮らしていても、対処法があるかないかの違いが大きいのではないか?と思うんです。
その対処法は?
後の時代にも誇れるものでなくてはね。
頑張ろう!
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