稲毛お散歩トレーニング終了しました。
帰ってから小田原強風吹き荒れていて^^;
稲毛の穏やかな天気は本当にミラクルだと思いました。
帰ってからのつぶやきです。
稲毛お散歩トレーニング終了しました。
今日は幕張メッセ(かな?)でオートサロンがあったために渋滞回避のためランチなしで家路に。 小田原結構風強くて、稲毛の海浜公園の穏やかなポカポカ陽気はほんと、ミラクルだと思います。
てんちゃん一家が通算31回目の参加回数。小麦君が21回目。 継続してそのワンコさんの成長を拝見させていただけるのが喜びです。
小麦のかぁちゃんの言葉に 「小麦はそのままで。自分の働きかけでできることがわかったから」 って。 素晴らしいですよね。
人間と犬は、小難しい学習理論を覚えなくてもその通りにトレーニングしなくてもうまく行ったりします。その通り育てても問題は出ます。 大切なことは目の前のたった一つの命に、あらゆる「コツ」を注ぎ込むことだと思っています。その「コツ」を枯らさないための学習理論や学びではないでしょうか?(「コツ」は集めただけでは使いこなせないものです。集めることは悪くないです) 犬は受動態で。しかし与えられて満たされたとき、その本能は輝き自ら動き生き生きと生きられるのではないでしょうか? セオリーに縛られて体裁の良い方法に満足しないように、泥臭くても命万歳の犬にとって嬉しければ擬人化結構の^^;そんな体当たりの犬育てをしていきたいものです。
その姿勢は、今日公園にいた野良猫さんたちにも伝わるし、あらゆる命に響く生き方だと思うんですよね。 30代、そうですね40代でもこの考えには到達できなかったかな。若いということは時に不遜だったりしますね。その反省の上に今の考え方法があります。 時々思い出してもらえると犬さんはハッピーではないかしら? ご参加の皆様お疲れ様でした。エアー参加の方も確かにはっけーん!しました~。^^;
ありがとうございました。
犬に好かれるタイプの人、って・・・生まれながらに何か持っているし、その接し方が犬たちにとって魅力があるわけです。
それは…コツの世界と同じものではないかなぁって思うんですね。
なので、犬の世界に
「私は犬が嫌いだったけど子犬を飼って大丈夫になった、だからトレーナーになっても犬嫌いの人の気持ちがわかる」
という・・・ そういう人にはコツの世界が意味不明に感じ、トレーナーさんの中にはコツを持ち合わせていない人が結構多いな、と感じるこの頃です。
コツの代わりに セオリー、学習理論がありますので何とかなっちゃうんですね。
犬は。
だからコツをたくさん持っている動物学者のようなフィールドワーカーを軽視するというか、論外に思う方が少なくないという気持ちも大きいです。
妄想ですのでスルーしていただいても結構ですが・・・
何にしろ、犬たちは窮屈だなと思います。
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稲毛では「あとへ」お話ししなかった・・・。
潮風は自己紹介しなかった^^;;;
いろいろ忘れている今年初めですが、開催地ごとの空気、温度いろいろですので、まあ同じことをしようと気張らず 今年もゆるゆる参りたいと思います。
ブロマガもね…散トレ参加の必須を外そうか?と思うこともしばしばですが、でも 参加者の水準の高さが保てるということはそこに集う方の学びを保障できるということなので、このままの方が良い と・・・
思いますがどうですか?
私たちが追い求める、甘いだけではない凛とした姿勢を追い求める場を支える理念は たぶんここでしかお伝えできてないもの、という自負があります。
なので、もっとたくさんの方に読んでいただきたいです。
では、今日のお題の 慣らすってどういうことでしょうか? についてです。
社会化のお話を座学でして、
では 「社会化ってなんですか?」
の問いの答えに
「慣らすことです」 という答えが出ます。
そこでもう一歩踏み込んで、
いつも深く掘り下げて次々考えていただきたいとお話ししますが 「では慣らすことってどういうことですか?」 になるわけです。
自分がもし、慣れていないものに慣らされるとき、どうされたいかな? という思いをめぐらすと、慣らすってどうあるべきかが見えてきますので、慣らすってどういうことかを自分自身言えるようになると思います。
一連のつぶやきまとめてなかったでしたっけ?^^;;;
落ち着いた状態を教えることに関してなのですけど・・・。
以前ご紹介したこちらの本。
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視点など素晴らしいとは思いますが、でもやっぱり、古典的条件づけを使ったリラックストレーニングを知って、それを行っていると、この中に記載されている行動を教えて、待たせて待っている時間を長くする、という方法では ブラッシングやお手入れや医療での保定には役立つけれど、 もっと根本的な、状態・・・ 眠る、休む、ぼーっとする ようなものは無理じゃない?
と・・・気づいてしまうわけですよ。
で、こういった一連のつぶやきになるわけです。
環境を整えてあげることで犬自ら落ち着いた状態を選択するわけですから、そこが究極のハウスマナーで。トレーニングに熱心でない方が食事時静かにしているかも。ただひたすら自分が食事を楽しむ(犬に対しては無反応になる)=環境を整えることだから。 教えなくても良いことまで教えようと思うのは、優しいようでそれは過剰なコントロールではないかなぁと思うんだ。 わざわざ自然にしていればできることまでトレーニングの対象にし出すことが嫌い。ほっといてあげてよ~。って思っちゃう。 犬はどんどん要求に応えたくて、要求を欲してバタバタするようになってませんか?トレーニングはストレスと言われる所以ではないでしょうか。 クレートトレ、トイレトレ、留守番トレ。そういうのも教えようと思うのは過剰なコントロールにつながりやすいね。
ということでお題に戻りますね。
社会化というものは慣らすこと。慣らすということは無理強いされずにその対象物、場所がとりあえず自分にとって脅威でなければ良いということになりますよね。
警戒心の強い個体って言うのは目の詰まったフィルターを持っていて、いちいち引っかけてそれについてまじまじ吟味してしまうわけです。(とりあえず危険そうでないものにも) フィルターをもっと目の粗いものにする取り組み
は楽しい経験をすることによるキャパを大きくするということ、
経験ですので当然時間をかけます、かかります。計画通りにはいきません。
またどんなに粗くなっても、対象物の刺激が大きければ引っかかりますので引っかかっても気にしないように 気をそらせられればいいわけです。
社会緩衝作用と言って、一緒にいることで安心できる人がそばにいるとストレスが緩和されたり不安行動が軽減されたりすることを言います。(生物学ですね)
社会化に大切なことはそういう存在なんですね。 だから慣らすためには、愛着形成が必要になってきます。
愛着形成に必要なことは 飼い主との関係をうまく作る 楽しい経験をたくさんさせる 抑制をおぼえさせる の三つだと言われています。
多くの方は、叱らないしつけ方に馴染むと叱れなくなり、結果抑制をかわいそうなことと感じてしまいます。 (叱って抑制するわけではありませんが、叱れないということは悪い行動をインターセプトできないということにつながります)
抑制がかわいそうと感じる相手を信頼できませんから、 叱らなければ犬に嫌われないと感じて、むしろ犬からは信用できない人になりそういう人が状態を教えたいと思っても 犬はおちおちくつろげない、ということになります。
いろいろリンクしていることなので、焦らず自分を立て直すところからですかね。 犬が好きそうなタイプの人の振る舞いを真似るところからでOKかなと思います。