犬の森の膨大な過去記事を少しずつ(2016年分から)転載していこうと思います。
ココちゃんのお話は次にして、吠え(だけじゃないか^^;)についてちょっと気づいたことなどをお話ししたいです。
福井お散歩トレーニング、開催できてよかったです。
つくばとの連ちゃんだったのでちょっとかったるいですけどね。
陽性強化、と言われるトレーニング法。
褒めてしつけますよ~って。
でも、出来なければ叱ったり罰もあり、なんですね。
「できない子には仕方がない」
「いけない行動にはNOを」
と。
まあ、学習理論を使うということは
正の弱化、負の弱化
弱化子を使う。強化子を取り除く。ということが当然行われるわけです。
教育ということに関して、感性の豊かな方は
心がざわつくポイントであると思います。
犬は(人もそうですけど)びっくりさせて脅して導いてはいけないわけですよね。
それをしたくないから、皆さん学んで納得できるものをつかみたいと思っているわけです。
犬にとって
「待った」
その行動は許可できない、下がりなさい
を教えるには?
人間の「待って」の言葉を教えたり、犬にとってじらされるような座らせる行動をとらせたり
よりも
インターセプト(石像インターセプト)のように前に立ちはだかる正対する方が伝わるわけですね。
下がれの場合はそのまま一歩前に出ればいいです。(穏やかに数センチ)
ただし、
人間が犬語を話すと思っていない犬も多いわけですが、それはどうしてかなぁと。
私たちが犬側にいるという理解がその犬にない=毎日犬語を理解されていない日々が続く、から
ではないかなぁと。
犬ですから。種が違いますから。
犬として何をどう感じてどう行動するか、犬の立場に立って考えるために
犬になり切る努力をしなければ犬は見えてきませんよね。
それでも、多くの犬は人間を許し、理解しようと努め、変わらず慕ってくれているわけです。
何をもってその気持ちに応えますか?
そういう、ふと考えると心が温かくなる。そういう思いをいつも抱きいつも犬に向けて。
そして吠えについても対処できたら、もっともっと落ち着いて笑顔で対処できるのではないでしょうか?
方法より気持ち。心構え。
概念で語る的になってしまうけれど、そういう語りは犬にとっては大歓迎ではないでしょうかね。
吠えて突進して、その行動が良い悪い、危険か危険じゃないか。
いちいち^^;(すみません)その行動を捉えて問題視することが犬との祖語を作り出していることも
あるのではないかなぁと。
もっと総括的に命を捉えられるように、まず自分を育てる。
私、支配的な考え方を捨てたいと努力して10年。ようやくここまで来れたかなと。
まだまだ頑張りたいです。