私は社会化のドッグトレーナー@犬の森

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

咬んできた、おやつをあげ続けると強化するでしょうか?


杉並座学で最後に宿題というか考えていただけますか?と
犬を知るということ、犬というより同じ感情を有する動物という視点で犬を見る
そしてトレーニングを組み立てる上での“質問”をお話ししました。

咬みの問題を抱えているワンコさんがここにいます。
手に過剰に反応させないために小さくしたおやつを何度もあげる、ことを私がしていたら。
ガガガと咬んできました。
それでも私が変わらずにおやつを上げ続けたらそのワンコさんの飼い主さんは
「咬みを強化しますからやめてください」
と・・・
強化するでしょうか?どうすればいいでしょうか?
という問題。

これは実際にあった話で、読者さんでお勉強を続けている方なので、
なぜ私がおやつをあげ続けるのか理由をお話ししませんでした。というか理解できていないんだ
というショックの方が大きかった、かな。
咬みの問題でいろいろ苦労されているわけですけど、犬が歯を当てるということに対して過剰に反応しすぎる方が多い、その典型的な例。
怖いという思いを、強圧的な訓練にすり替えてしまう・・・
でも、日常ではどうしても接することが多くて、ガウッとされたら・・・手をひっこめるということは
往々にしてあります。
手をひっこめるということで、咬みは強化されます。
すでにその時点で、その犬にとっての手段は確立されているわけです。
ただし、咬んだ咬んだと大騒ぎされる割に、咬みの程度は歯が開くくらい。
「ちょっとした咬みも、軽視しないで」
という言葉に怯える・・・しつけの現状があります。(この問題をブログでお話しすると白熱しますから^^;
座学等でお話しするわけです)

では、宿題の答えというか私の思いですねお話ししますので
皆さんが考えたこととすり合わせてみてください。

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食べものをもらっている時にガウガウと咬んでくる。
「もらっておいてなんてことするの!?」
という場面ですよね。そんなに食べものが大事なのか?ハンドフィードを行っている時にまま現れる現象です。
食べものを守る子、食べ物を見ると興奮する子・・・以外にも理由はあると思います。
ただ、こういう咬みが現れる時は
その仔にとっては、食べ物云々ではなくなっているのではないかと。
ちまちまもらうことのウザったさ、大きいのを抱えて食べたいんだ、
そういう感じが見て取れる・・・とすると
確かに、ガウガウして歯を当ててきた(咬んだ)のなら、そこにある食べものをなくす事で咬みをなくしていく、を狙う。それはセオリーでしょう。
でも、もっと奥の犬の感情
ウザいとか、人からされることに我慢が出来ないとか・・・
そういう人に対して開かれていない=コンタクトが出来ていない
その感情を捉えて
「歯を当ててもこちらは何も変化しないんだよ。その行動は無意味だよ」
まで教えていきたい。
咬みに意味を持たせない、咬もうがどうしようがこちらは変化なし、を教えたい。
教えられるはずです。
本当に食べものが欲しかったら、歯を当てて(咬んで)くることはない、私はそう思います。
自分のもどかしさを歯を使って表現してしまう。それは毎日の暮らしの中で
歯を使うことが、ではなくてもどかしさが募っているからではないかなぁと思うのです。
間違った歯の使い方を直す場合に、歯を使わないように教える、ごほうびを取り上げるということが
意外に矯正力がない理由は・・・
もどかしさがそのままだからなのではないかと思うのですね。
人間がその犬の欲求についての不理解が土台にあるままだから。

わがままで咬んでいう事を聞かそうとしている。
よくそう言われるケースが多いですね。
でもそうかな?
咬んでいる時にはもうすでに欲求はどこかに行ってしまっているんですよね。
欲しいものは本当に欲しくはなく、ただ自分の鬱積した感情をぶつけているのではないかと思います。

だから、まずは与え続ける人であれ、と。
何かをしたら何かが与えられるよ、というオペラント条件づけの発想で犬に対さないで欲しいと思います。
名前を呼んでおやつ、ありましたね?その要領で。

対価を求めない。
愛を与えるということはそういう事ではないでしょうか?
だから、愛情の与えすぎ云々の愛情、間違った愛の与え方という「愛」は「愛」ではない。
自分の「思い」なのです。
自分の思いですから犬が必要としているかは疑問ですね。
犬が必要としているものと自分の思いが重なるような飼育ができれば、犬の時に現れるわがままな欲求の表し方にも、淡々と対処することができるはずです。

だから・・・
上記の場合、私はただただ何も変化せずにおやつを与え続ける方法をとる、とれるわけです。
許可しないよ、を示すためには
何かを取り上げるという発想は弱すぎると思います。
毅然と。というのは厳しく罰するということではありません。決めたルールを自分自身が遂行することです。
その姿勢を見て犬たちは自分を律することができるのだと思います。

こういう姿勢こそがよく言われる
「リーダー」
ということなのでしょうね。強圧的な訓練を犬のためと称して行うことではありません。
何もトレーニングしなくても犬が穏やかに自分を律することができるその隣には
犬の要求を満たしつつ、不当な要求には無反応を返せる・・・そういう人がいるはずです。
押さえつけられるわけではないから犬たちはリラックスして日々を暮らせるでしょう。
吠えも咬みも、犬から発することに過剰に反応しすぎることのないように。
犬の安寧は人間側の穏やかさに比例すると思います。





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