どうしても犬を飼うと
こうあるべき
こうしたい
このようにみんなしている
こうなったらいいなぁの「こう」の部分
そういう決まり事を頭の中に作って、それは悪いことではないと思いますけど
一旦出来上がったそういう思いは、それと外れたことに不寛容になってしまいがちだと思います。
自分の中で許せなくなってしまいがちです。
犬というのは結構特別な動物で、私の知り合いにかなり難しい野生動物の飼育をしている方がいますが、ハズバンダリートレーニングを取り入れているのに、犬には昔ながらの接し方だったりします…。本人も自覚あり^^;
犬って柔軟性に富んでいて従ってくれやすいので、ついつい無理を言いがちですかね。
ただ、犬が恐れたり悲しい思いをする方法はNGと突き付けたいだけで、昔ながらの強い犬への接し方がすべて悪である言い方はむしろ犬の能力を侮る結果にもなりがちだと、私は感じているんですね。
ここのところはとっても、いつも伝えにくくてもにょるのですが、
上手なプレッシャーを与えて決して無理ではなくそしてできたことを最大限に喜び合うのが人と犬、という感じは持っています。
そこが犬の本当に素晴らしい能力だと思います。
ただ、そういう訓練のための基礎は、犬と仲良しである、ということですね。
犬がいやいや、恐る恐るではダメだと思います。お母さんが怖いから言うことを聞く、っていうのは、本当の犬との信頼を作れていないと思います。
お母さんはたまに癇癪起こしてるけど(笑)、好きだから言われなくてもお母さんの言うことを聞くよ、
これが犬の思いではないかなぁ・・・。
昨日の小田原お散歩トレーニング。駅前にも出かけました。
大きすぎる刺激云々と慎重になる方が多い最近ですが、ストレスを怖がってね、でもそれってやはり自分が大変だからだと思うんです。
自分を振り返っても。
犬さんは何てことなかったりしますね。刺激不足の方が厄介かなぁと感じています。 お母さんと一緒だから、友だちと一緒だから、先生と一緒だから だから気が紛れて「あ、その音ね、聞こえてなかったかも~」みたいな。 温かい気持ちのパックに包まれたドッグウォーキングの力ですね。
駅前急ピッチで整いつつあります。
雨で比較的すいている駅でしたが・・・。いろんな人がいて、いろんなものがあり
いろんな音や匂いがするのが自分が生きている世界、
それを慣れるというより「知る」ことが社会化の第一歩だと思います。
大きすぎる刺激と恐れる方に決定的に足りないのは、緩衝材になれる自分・「大丈夫」を伝えられる人である自分、ではないでしょうか。
少し厳しい言い方なのですが、命を預かるということは厳しいものだと思います。
皆さんお疲れ様でした!
多くの方に伝わりますように。応援よろしくお願いいたします。