私は社会化のドッグトレーナー@犬の森

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

大切な贈り物

 

ということで昨夜座学が終わってから書いた記事をこちらに再アップしたいと思います。

その前に・・・FBでのこちらの投稿を読んで、考えてみてください。

ムツゴロウさんと茂木先生の対談の中で、チャーリードッグスクールの生徒さんの質問に ムツさんが 「犬になったつもりで僕を襲え!」 と言ったとき。 ムツさんの腕をかじった・・・。(  ̄▽ ̄) ・・・ 犬なら咬んだ、ということ。そこでムツさんは罰を与えたか? いいえ。 ムツゴロウさんはいつものように 「よしよし」 と、うっとりするようにささやくわけですね。そのように数多くの咬み犬さんと仲良くなってきた。 「よしよし」 は罰でしょうか? 罰を用いずとも悪い行動はなくなっていくんですね。それが命の可能性なのではないでしょうか。 教える側はそれをしっかり携えてその上に学習理論を用いていかなくては。 命を考えて行くとそこに突き当たるのではないかなぁ。

犬たちに正の強化で(行動の直後に犬たちにとってご褒美となるものを与えて行動を強化していく条件づけ) 我々にとっても犬たちにとっても好ましい行動を教えて行きます。

ただし、 いろいろな理由で正しい行動が取れなくなった、またトラウマから抜け出せない 悪化してしまったとき、なかなか正の強化が使えないケースが出てくるかなと思います 当事者でなければ想像できないかもしれませんね。

吠え、咬みなど。 ポジティブなトレーニングでは 正の強化で行動を強化し、好ましくない行動については弱化して行くわけですが負の弱化を使っていく、 とされています。 吠えをやめさせるのには無視を、とことん咬むことがこじれてしまった場合は・・・? 無視の強烈な愛情遮断を。

まだまだ咬む犬に対して使われているのが現状かなと思います。

犬が吠えるとか咬むとか・・・ 成長によって出現します。それによって意思を表しますので 吠えてうるさいから行動を置き換えて、例えば食べる行動に置き換えようとか? 吠えるのは…誰かが来たよとお知らせしているのかもしれませんよね? なのに食べさせる・・・?

対象物が怖いのであれば、対提示(古典的条件づけといいますが、対象物という刺激に好きな食べ物を条件づけることによって対象物にいい印象を持ってもらいましょうね、ということでこれが社会化の基本です)で食べ物を食べさせるはあり、だと思いますが・・・。

行動を置き換えるって…不遜ですよね?

また ピンポンが鳴った。 「誰かが来たよ~」 のお知らせ吠えに 「NO!」 って?おかしくないでしょうか?

コミュニケーションが成り立っていませんよね?

ドッグトレーニングと称してそういうことが続けられていることにちょっと待ってね、と言いたい気持ちがいつも一杯なんですね。

一年間、犬のボディランゲージ、犬ってどういう動物なのかをお話しして来ましたが 初心者飼い主さんには気が遠くなるような勉強量が広がっているかなと思います。

なので、気長に・・・。

ドッグトレーニングは気分をあげさてノリノリにさせますが、家庭犬のマナートレーニングには必要ありません。

むしろ静かにしていてほしいわけです。

だから? トレーニングを分けて考える必要がありますね? そこを区別できるように学んでいきましょう。

来年はそんなところをブロマガに書いていきたいと思いますので、ぜひご購読いただきたいと思います。

では昨日の記事ですね♪

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横浜ラポールは館内のレストランでランチを注文できまして、

今日のはこちら。 食べかけて慌てて撮りました^^;

クリスマスが近いことからシュークリーム付きで♪

今日もいろいろありがとうございました。

今年の座学がすべて終了しました。

横浜は定例となっていまして、また来年も1月から開催していきますので 皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

人間仕様の罰を使わない。

人間目線の罰・・・犬には理解できないだから刺激がどんどん大きくなって犬は行動をやめるのではなく 動かないことを選択する。

自分で動くことに自信が持てなくなり、いつも人に「これでいいの?」とお伺いを立てるようにならないだろうか?

それが一見お利口さんに見えて、そういう「お利口さん」を求めて、人間仕様の罰が繰り返される。

犬は犬としての行動が許可できない場所と時があることを教わらず、行動自体を罰せられて、 どんどん犬らしさを封じられて、犬語から遠ざかり。

犬の中でどうふるまっていいのかわからなくなっている犬が、不安を隠すように吠えたてることに向かう。

人間が封じた犬らしさこそが、犬の中で犬をスルーしたり、犬語で会話することで 人間が求める犬らしさとは違うのかもしれませんね。

リードショックやガチャガチャ缶や、アルファロールなど、行動を(動きを)止めるためには有効であるかもしれませんが 同時に犬からの信用を無くします。

犬同士どのようにお互いの行動を抑制し合っているのか?それを観察してマネできるものはマネする。

人間と犬との間のコミュニケーションや約束事で「やめてね」が伝わるのであれば、それも装備して。

叱らないというのはそういうこと。

犬をいじめたらだめです。

カーミングシグナルは犬の心をなだめます。

高ぶった感情が一気に平坦になるように・・・行動が抑制されます。

そういうように 犬のように気持ちをなだめることはできないかな?

人間なりに彼らの気持ちをなだめられたら? 叱らずとも行動を消していくことはできるのではないか? 消していくといっても、犬が犬らしく振舞う行動であったら、消すというより諌める。

その行動は今とってほしくない、と伝えればOK 。

そして犬たちに心温まる言葉をかけ続けることで彼らの中に、私たちを求める気持ちが生まれて 幸せに満たされて、安定する。

安定した犬はやたらに憤ることがなく、不安を感じても人間のさり気ない介入で落ち着きを取り戻す。

さり気ない介入は、カーミングシグナルと二次強化子で。

飼い主が犬たちの大好きな人になる、ことは 叱らずとも適切な行動を選択する落ち着きをもたらすのではないか? 叱らなければ犬は言うことを聞かない、というのは違うのではないか? 叱らなければ悪い行動は直らない、という悪い行動は、犬にとって何にも悪くない。 だからそれを叱って問題をこじらせてしまった場合、悪いのは犬ではない。

延々考え続けるその先には、犬が犬らしく、犬のまま愛されて、犬を心から尊重することで 共に暮らすことの醍醐味を感じられる私がある、そう思います。

そういう人は安易に犬を見捨てる人を許せないけれど、そういう気持ちに追い込まれる人を理解できるのではないでしょうか。

何が問題をこじらせたのかが、きっと見えてくるから。

何度でもやり直しましょう。社会化の扉は固く閉ざされていることはないと信じています。

 

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