私は社会化のドッグトレーナー@犬の森

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

つぶやき、というか・・・ぼやき?

咬みつくなんてとんでもない 人をなめきっている 主従関係を構築しないと 構築するためには、罰しないと というのが咬みに対するセオリーになってますかね。 咬まれる・・・ 実は最初、咬んだのではなく 空咬みでの威嚇ではなかったですか? たまたま・・・そこに手があって当たった。 狙われた、という感じはあなたの恐れからきているのではないか? 攻撃は・・・犬にとっての防衛なのかもしれませんね。 このような犬目線的考え。 多くの(かなり多いと思いますが)方にとって 人を馬鹿にしたものと感じるみたいです。 ???ですか? このお話にピンとこない方は、本当に良い方、 良い人に囲まれているのではないかな~? 愛護がなぜ広がりをみせないか、という部分でもある。 かなり私的意見なのでスルーしていただいてもかまいません。 けれど、ここをはっきりさせないと、 なぜ犬に優しい方法が広がらないかが理解できないと思うのです。 人を馬鹿にしたような感じ。 馬鹿にされた感じ。 「どうしてあんな奴に、自分がへいこらしなくちゃいけないんだ」 という発想ではないかなぁ、と睨んでいます。 優しいとか優しくないとかではなくて・・・ 相手目線に立つ、思いやる、想像することが面倒。どうでもいい。 うざい。 命に優しく、というスローガンが非常にうつろに聞こえたりする・・・ 教える側は命に優しいですか? ・・・ とっても片手落ちな教育があったり・・・ 第一優しさって何だ、とか。 自分に優しいのと、人に優しいのと、自分にも人にも優しいのと 微妙に違っていたり。 自分にも人にも、すべての命にも思いやれることが優しさなのでしょうね。 未熟ではない、ということ。 大人だから未熟じゃない、とは言えない。 成熟していない・・・精神。 犬にとっては咬みつきが防衛だと私が感じるのは 命に対するリスペクトがあるから。 自分を守るために生きる、それを想像できるということ。 その上で、 不適切な方法であることを教えられればいいのでしょう。 教えられる人でありたいなぁ。 だから・・・ 罰はダメなんだって、思える人と一緒に頑張りたいと今日も思います。 と思いっきりつぶやきました。

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