私は社会化のドッグトレーナー@犬の森

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

飼い主のためのトレーニング

私のトレーニングは飼い主のためのトレーニングですよ、
というお話をいつもさせていただきますが、
飼い主のためのトレーニングと言っても
その意味合いはいろいろだと思います。

飼い主がリーダーになるための。
犬が飼い主のコマンドを絶対命令と思えるような,
そういう指示が出せるか。
褒めるタイミングやおやつのタイミングなどは飼い主が学ばなければ。

・・・

といったように。

私のはどれにも当てはまりません。

あなたは犬にどのように条件づけられているでしょうか?
ということなのですね、犬との生活の土台となる物を作れるのはあなたしかいません。

あなたが姿を見せると
犬たちは嬉しくてついつい尻尾が揺れませんか?
次は何をするの?または、しなくても一緒にいるだけで、穏やかな瞳であなたを見つめますか?

あなたからの働きかけを犬が喜ばなければ意味がないわけです。
あなたの存在を喜ぶ、または特別なことではなくいつもそばにいて、落ち着ける相手。

仕打ちとも言えるようなトレーニングが多いですね。
あなたが与えるトレーニングと言う名目の仕打ちを、犬のためだと思うから
上手く行かないわけですね。
罰したらダメなのです。
してほしくない行動、間違った行動、時に命の危険にさらされた行動
すべて、罰する発想を捨てていただきたい。
命を守るわけですから、毅然と「違う」を伝えたいわけですよね?
愛しているものを守るわけですから、そこに存在しなくてはいけないものは罰ではなく教育でなくてはいけません。
教育に罰は必要ないはずです。
まずは罰的なものを排除して、その上でどうやって伝えられるかを考えることがフェアなトレーニングだと思います。
あなたか「罰ではないという方法」が本当にそうか?
犬のキャパに助けられてたまたまうまく行っているだけではないか?
自分は納得していないのに、やれと言われて、正しいと言われて、行っているだけ?
ではありませんか?

「良くしつけられた犬ですね」
という人がいる反面
「訓練やトレーニングは犬がかわいそう」
という人が多い。
かわいそうなトレーニング、訓練とは調教のような方法、のようですね。
一般の人はそういう意識で見ています。
かわいそうではない楽しいトレーニングがある反面、辛いものもある。
だから混沌としているのですし、
トレーニングは要らない、というような極端な意見が出てくるのでしょう。
人間が良く生きるためにトレーニングが必要なように、犬にも当然必要です。
それが教育だと思います。

一旦、今の日本のトレーニングや訓練の流れを一緒に考えてみませんか?


今日もよろしくお願いいたします。
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