犬があなたの言うことを聞かないのは、なめられているからでしょうか?
これも定説の一つかなと思います。
犬になめられているから犬が上になっているから言うことを聞かない、って。
だから犬が上だと思っているご主人や、トレーナーの言うことは聞く、と。
では、言うことを聞くという「言うこと」ってなんでしょうかね?
「言うこと」だけで聞かせられているのかな?
言うことプラス何かはないかな?
・・・
カウンセリングでお聞きしていることの中で最も多いのは お散歩時に対犬に吠える、というものでしょうか。
確かに、私がリードを持つと吠えない犬はいます。私が持っても吠える犬もいます^^;
なめられているからか・・・?
まあそれはないでしょう。
また・・・
理由は一つではないですね。
その環境で刺激で、犬が吠えることが条件づけられていれば、吠えます。
犬を見れば吠えるという条件づけ。
吠えたらリードショックが与えられたり、びっくりする様な叱り声でひるむから吠えないという条件づけが形成されたりとか。
びっくりする叱りがなければ、吠えたい、吠えずにはいられない気持ちが勝って吠えるとか。
飛びつきも、座り込みも、色々な行動がすべて、上記のように条件づけられているから行動が現れるわけです。
なめているから、あなたの制止を聞けないのではなくあなたの制止が効力がない、わけです。
で、私の方法はその効力に罰を使わない、ということ。
名前を呼ぶ、その名前が、犬や他の刺激に勝る効力を持たせるということ、それでもだめならインターセプトで視界を遮る。遮ってもなお気持ちをこちらに向けられないから、日々取り組む。という方法。
なめられているという発想は入り込む余地はありません。
なめていると思う気持ちから叱ることや罰が生まれると思いませんか?そしてそれはコミュニケーションのほころびに向かうことが考えられます。
犬が攻撃的になる、または、一切頼ろうとしなくなる。あきらめて、飼い主さんの機嫌がよさそうな時を伺い見る、みたいな。
私たちが犬を飼って、思い描いていた在り様とは、大きな隔たりが生まれる
そういう定説がとても多いことが残念だと思います。
座学の会場で
「そうそうゲーム」というものを行うことがあります。
そうそうだけでこちらの望む行動に、お一人の方を誘導して正解に辿りつかせるというものです。
そこにはNOが存在しません。
それがルールですから。
そういうルールを、犬に対する時も作ってみませんか?というのが私のトレーニング
問題行動の矯正の方法です。
飼い主さんにとって難しいこと、即、達成感がないこともあるかと思いますが
取り組み続けることで生まれる自信には揺らぎがないのではないかと思っています。
またそれが喜びに結びついたらいいな、そんな思いでいます。
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