社会化とは何か?

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こんにちは。肌寒いですねー。 6月から9月まで合同のお散歩トレーニングとリードワークワークショップは開催しません。 10月の開催をお待ちください。 夏は座学をご用意していますので、ぜひそちらへどうぞ! スクールのお知らせはこちらのブログの固定ページに置いてあります。

charliemama3.hatenablog.jp

また8月は今のところ座学の予定はありませんが、9月に入ると8日にこちらにお招きいただいています。

ぜひぜひよろしくお願いいたします。

今日もくる天ブログからのインポート記事をアップしますね。 リード使いひとつとっても、何のために学ぶのかの意義を持って学びます。 犬の反社会的な行動を飼い主が止めて行かなくてはならず、その時に「うまく(いろいろな意味が含まれます)」止められるように人が学びます。 犬ってなに?犬と人とのコミュニケーションって?の総合的な学びがチャーリードッグスクールの真骨頂で、夏の間飼い主力アップを目指していただきます。

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犬の社会化

2015年5月4日 17時55分の記事

GWも終盤。 私は変わりなく淡々と^^;仕事片付けてます。自営だからね~。 犬猫に囲まれて自分で時間管理できて、休みみたいなもんだ、って。 人から言われるとイラッとしますが^^;まあそうかな。 時間の管理がうまくなくて、ぼ~っと考えるのが好きなので慌ててしまうことが常なのでダメですけどね。

さて、今日は社会化について考えてみますね。 昨日Facebookに投稿したものも合わせてこちらにまとめてみます。

イヌの動物行動学から

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知

  • 作者: アダムミクロシ,´Ad´am Mikl´osi,藪田慎司,森貴久,川島美生,中田みどり
  • 出版社/メーカー: 東海大学出版部
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本
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専門書なので一気読みはできず^^;ちょこちょこ開いてようやく一通り目を通せましたが。 2007年までの犬についての知識の集大成はこれ一冊でOK,みたいな。 2007年からずいぶん過ぎているので^^;そこからまた学び続けていなければ新しい知識は得られないわけです。当然ですが、なかなか犬のプロと言えどもその知識を網羅している人はいないですよね。

オオカミの力関係を犬に当てはめて考えるリーダー論、パック理論がどうして疑問視されるかについてだって、疑問視すべき知識が行き渡っていませんから、疑問を呈する人の方がひょっとしたら少数だから、だから犬の訓練しつけトレーニングについてこんなにもいろいろな枝葉が茂りお互いに壁を作っているのではないかなって思うのです。

動物福祉と、イヌの動物行動学についての知識が基礎の部分、ベースにあることが必須で、 その上で 問題行動は認知心理学や行動分析を駆使して、 アジリティーを楽しんだり犬との訓練を楽しんだり、家庭犬として犬とのゲームを楽しんだり。 それらは枝葉でベースではない。 ここの認識が甘いですよね。考えてみたことのない人が実は多いのではないでしょうか?

犬と人とがともに幸せに暮らすために必要な社会化

犬の幸せと人間の幸せと折り合いをつけてより良く暮らすためにはお互いを知る必要があります。 私たちは私たちでまず相手を知る=どういう動物かを学ぶ必要がある、ということです。 それが基礎、ベースにあってこそのいろいろな取り組みでなければ犬は汲々としてしまいますよね。

社会化は?犬の社会化についての考え方は?基礎、ベースの部分に入ります。 そして広義の社会化と狭義の社会化についてしっかり知識的に整理されていなければならないのですが、それについて学問的に指示されていない現状があると感じています。 だから、社会化についての誤解がとても多い、わけですね。

社会化には 犬が犬として生まれ母犬にそして兄弟、父親的な犬に、犬としてのイロハを教えてもらう社会化が一番初めにあり。次にそれぞれの家庭に迎えられての人間社会への社会化が始まります。 その中に、新しいものに出会うためのパピーの頃の社会化(=馴れる)引き続き成犬になっても社会化は続きます。なぜなら新しい出会いはパピーの頃だけにとどまりませんから。 狭義の社会化の中に テーブルに乗らないとか、家具はかじらないとか、人に吠えないとか、噛まないとか、やたらにマーキングしないとか、そういうマナーの部分も入りますね。 そして、一旦怖くなったもの不安を感じるものを克服する過程も、狭義の社会化に入るのではないでしょうか?暮らしやすく順応するという意味で。

社会化というのはそのようにかなり大きな幅のあるもので、だからこそ、取り組みに希望が持てるわけです。私はそう思っています。

犬が自分を小さく見せられる、引ける、引き下がることを学ぶ=抑制…のために

イヌの行動を解釈するとき、人はしばしば、こうあってほしいと思うような自分の希望を投影します。 そのような人たちにとって「イヌ」とはまったく理想的で純粋な存在であるかもしれません。 一方その反対に、「イヌ」を単純な機械のように解釈する人たちもいるでしょう。 そのような人たちは自分の解釈を「科学的」だと主張しますが、それはある単純な理論に従って「イヌ」の行動を解釈し、それ以外は非科学的と切り捨ててしまうような解釈です。どちらにせよ、犬の真の姿(そこには、まだ発見されていない豊かさや多くの謎が含まれます)を理解する障害となるでしょう。-監訳者のまえがきより

常にドッグランで犬を見れば遊べる(遊び=追いかけごっこなど走り回る、ぶつかり合う)と認識していれば、 リードつきでそういうように遊べない時フラストレーションがたまるのは当然です。=吠えたり突進したりリードを噛んだり。 ドッグランでも飼い主の一声で遊びが止まるというくらいにトレーニングを積めばリードのあるなし関係なく、 今は走り回らない、自由が制御されているを理解させることができると思います。これも社会化。

視点を変えて。 リードでつながれている時にばかり制御の練習をするからフラストレーションがたまって聞く耳持たなくなりますよね・・・? ドッグランに行くのが悪いわけではなく、ランに行っても犬の視界の隅に飼い主が常にいるか?または飼い主へのチェックインを頻繁にさせるか。 母犬が仔犬の抑制を教え、引き続き人間が教えなければいけない時に教えず、犬の行動に手を焼き始めて食べ物を使ったトレーニングで悪化している犬さんのお悩みに最近多くあたっています。 トレーニングは要らないとする人たちは興奮する刺激から犬を遠ざけることばかり躍起になって犬の経験不足を招いています。 基本的なところが間違っていないでしょうか。