2018/10/19
今日はまるッと自分のブログの過去記事を転載しようと思います。
「私は社会化のドッグトレーナー」
愛しているけど犬育てがうまく行かない場合、愛があってもうまく行かない
そういう論調になりやすいトレーニングの世界があるのかな?と思います。
愛だけではダメなのよ、ってね。
そこから、愛は要らないという極端な発想まで出やすいトレーニングの世界があります。
愛を語るのは非科学的よね?とかね。
一旦最初に戻ろう(笑)
愛があってもうまく行かないことがある、それは確かに。ならば愛を持ってうまく行く様な知識と技術を持ちつつ行えばいいのではないでしょうか。
というのが私のポリシー。
論点のすり替えみたいなことが気持ち悪くて、ね。一旦犬の世界の一歩外から眺めてみると良いのではないかなぁと思いますね。
だから問題を抱えて困っている方も、閉じてしまってよくなってからあれもしてこれも、ここへ行って、とか思わないで、問題を抱えたままでも飛び込める、悩みを打ち明けられる確かな場所が欲しいですね?と思います。
私は神奈川県の愛護推進員をもう発足当時から委嘱されてやっていますが、業としてトレーニングを行っているので、なかなかそれが足かせになっていることが多いです。
トレーナーはいくらでもいるし、あなたのトレーニング法が唯一正しいわけではない、と言われればどう物を言っても伝わらない感があります。
でも、見渡してみると、スタートのところ・・・
愛を持って厳しく叱る
ここが違っているからうまく行かないのだろう、というところが見えているので、最初のところを直そうね、と提唱する方はそんなに多くないと思うんですよね。だから暮らしのニーズに合ってない。
長くここで学ばれた方でも、どんどんトーンダウンせざるを得ない犬の世界。それだけ異端ではあると思ってます。
リードワークだって全然違う。
愛を持って厳しくリードショックすれば犬はあなたをリーダーと認めてコマンドに従う、と言われます。
そこも見直さないと。
出来上がったセオリーを見直すためにはとても大きなエネルギーが必要になります。
知への愛がないと異論を述べる人への寛容さにも欠けるでしょう。すると怒りが湧くか無視するか。
そうやっていつまでも古臭いセオリーのもと飼い主さんが愛を持って厳しく叱って追い詰められるんですね。
いつも心にとどめている言葉(「私は動物が幸せを感じるとき」から)
カナダのブリティッシュコロンビア大学の動物福祉学者デイヴ・フレイザーは問題を理解するには、最も過激な人が書いたのではない文献を読む必要があると言う。この説は正しいであろう。動物擁護団体も畜産業界の団体も、複雑な問題に取り組むときに、しばし極端に単純化した、それぞれに都合のいい情報を手に入れている。長年仕事をして分かったのだが、たいていの場合、動物の問題を解決するいちばんいい方法は、両極端の姿勢の、どちらかと言えば中間の取り組みをすること。真実は中道のどこかにある。
今日もご機嫌に「鼻活」を♪