チャーリードッグスクール

私は社会化のドッグトレーナー

おはようございます♪

おはようございます。 今日もきりっとした気持ちの良い(人によっては寒いでしょうか?^^;)朝ですね! 今日はアシスタントコースのコメントレスをさせていただこうと思っています。 第二回目の記事はアップできましたので、ご自分のペースで書き込みしてみてください。 20141017081930624_20141017082230517.jpg くうちゃん、足によじ登り^^;まあるくなって寝る季節になりました。 そろそろ湯たんぽかなぁ。 20141017081956130_201410170822295f1.jpg 今年は9月からず~っと絶え間なく咲き続けてます。わが家のお花はこれしかない^^; なかなか庭に手が回りません。地中で春に向けて準備している子たちに期待して。 昨日はクリッカートレーニングの鳥さんのことを紹介しましたが、 わが家には今強烈な数のニャンコがいて^^;ですね、猫たちに教わることもそれはそれは多いわけです。 犬だから、猫だから、人だから、野生の動物だから・・・。 そういう区別は必要ですね。その種を知るということで、ただ、共通点ってあるじゃないですか? 種の保存のためにその欲求ですね。欲求を満たし叶えるために行動する、というパターンがある。 それについて形は色々だけれど、共通しているじゃないですか? そういうものを感じてみましょうよ、と思ってるんです。 すると、犬の中でも犬としての共通の部分を見てその上で個々の違いを感じることができると思います。 感じやすくなるのではないかな? 「この子」 を知るということは、その種を知ってそして性格や気質の部分を見る。 何が無理で何が喜びだろうか?ということ。 「この子はこういう子です」 というラベリングと言われているものは、悪くないはず。それを決めつけて変化のないものと思うことが悪いことではないでしょうか?または、この子はこういう子だからけしからん、と進むことが悪いこと。 こういう人としての知恵の部分をもっと大切に動物たちと付き合いたいものですね。 人は人。犬にはなれない、そんなことは当然のこと。 犬の中に入り込んで溶け込むということは犬になるというような陳腐なことではなく、犬の世界にようこそ と犬から招き入れられる人間になれないかな?という希望です。 犬が好きでなくても犬を大切にできます。 反対に犬が好きな人でも犬をいじめたり、さげすんだり個体の好き嫌いがあったり、遺棄したりしてしまう現状があります。 愛護というのは好きになることが大切ではなく その種が不当と感じることをしないようにできるだけ頑張る、という基本の命の法則みたいなものに準じられる自分を作ることではないかな、と思います。 ま、いろいつぶやきましたが、朝から。 上の黒猫、くうちゃんはいろいろ障害のあるこで、パッと見不憫なんですよね。でも彼はそんなこと微塵にも感じていません。気高いほど。命がキラキラ輝いているようです。 そういう気持ちを感じられる自分であってよかったな、そんなことを思います。 今日も素敵な一日を~☆ にほんブログ村 犬ブログ 犬 しつけ・訓練へ
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