私は社会化のドッグトレーナー@犬の森

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

細かく考える、立ち止まりつつ考えながら進む

FBのチャーリードッグスクールのページにくる天オンラインの過去記事を一部掲載するようにしました。 こちらでも。 【学ぶということ】 2013年9月27日 の記事

[amazon asin="412204961X" kw="キーワード"]

対談集なのですけど、 糸井重里と、昆虫学者の石川良輔、魚類の専門の杉浦宏両先生の対談がP3からなのですけど載ってまして。 ペット百景『カメは万年、飼育は専念』というタイトルがついています。 ペットを飼うということ、 生き物との付き合い方についてのお話なんですね。 親が生き物に対する興味を奪うような育て方をしていないかどうか?ということにも触れられています。 生き物を見て愛おしいという感情を失ったら、人間はもうおしまいでしょう。 と・・・ またまたFBからの投稿です。 市のセミナーで、犬のしつけについてお話した時、テーマは動物福祉に則った方法で(その言葉は使いませんが)なのですが、そうすると、犬をなぜ叱らないか?について言及するわけです。 そこで一番腹を立てる年代層ってどのくらいの方だと思いますか? 私の見た範囲での答えですけど・・・ 小学生を連れたお母さん、です。 彼らの年代というのかな、一番忙しくて、気持ち的にも余裕がないのかもしれないけれど、学ぶことと教えることと、その両方に責任感がない人が多いな、人任せだな、と思いました。 お母さんはこう思うよ、 という子供への発信が最もその仔にっての動物とのふれあいの基礎になるわけですから、愛護の進みが鈍いのはこういうところに原因があるのかもしれないと思いました。 学びたくない、教えられない。 誰かに子供に教えてもらいたい、という姿勢ですね。 悪いことに^^;犬をすでに飼っていて、問題が起きたからお話を聞きに来ているわけなんですよね。犬の問題じゃあないなぁ。 よく 「犬を知ってる」 という言葉が、犬の専門家の中で言われますが、専門家でなくても言いますかね。 しかし、知っているというのは 自分は知らないということの裏返しでもあると思うんですね。 なぜなら? 上記の本の石川先生の言葉ですけど 「生きものについてひとつわかると、またわからないことが増える。だから面白いことや発見はいっぱいあります。僕なんかこの年になってもその連続。みんな意識をもって見ないだけなんですね」 と。 ある一部を知って知っていると言ってしまうのは 自分は知らないということを認めない、ということで、学びはそこでストップしてしまいます。 だから何年前に 「自分は犬について学んで、犬について知っている」 というのは 犬について全然知らないということであると思います。 だって、以前犬はオオカミの子孫で・・・ 犬は他人を支配して、って。そこから犬を下にする方法が編み出されて来て。 でも今はそれは違うとなっているのに、昔々の「知っている」にしがみついている人は、いまだに支配性理論に染まっているわけですものね。 それが犬を取り巻く世界。 飼い主さんの方が謙虚に今の学びを受け入れるから、当然、昔の「知ってる」を盾にするプロよりも、「知っている」ということに近いのだと思うんです。 というようにどんどんプロ側にプレッシャーを与えてください。 **************** 環境省の 人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクトのHPはご覧になったことがありますか? ぜひチェックしてみてください。

http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/project/index.html

チラシやポスターなどをダウンロードすることができます。 殺処分ゼロ、という言葉についてあれやこれやの声が上がっていたり・・・。 私自身はぜひ!と。それはダメと思う方もいると思いますが。なぜそこに温度差が出るのか考えなければ足並みそろいませんよね。 命を大切にするということに関しては共通の思いがあるはずです。 ではどこで食い違うのか?考えてみました。自分なりに。 わたしは「殺処分ゼロは個人が自分に対して思うこと、誓うこと」という捉え方でいます。教える時も。 ある、施設に向けての「殺処分ゼロ」ではない、と思うんですよね。 自分に向けての誓い、であるべき。 そして安楽死と殺処分は違うよ、という認識も持たねば。 犬に対しての生き地獄を回避したい思い、生きることの質を高めるということが根底にあって、その上での殺処分反対。 するとここに何をすべきかが見えてくるはずなのです。他人にあれしろこれしろではないですね。 そのためには成熟した社会が生まれなくてはならず、成熟さを邪魔するような情報や指導を排除するように、できる人ができる活動をしていかなくてはならないと思って、私はその仕事をしているつもりです。 なので私の方法についてああだこうだ揶揄する人は、成熟した情報を作りたくない人なんだな、人が考えて自分で決められる力をつけさせたくないんだろうか?と穿った考え方を持ってしまうんですよ。理念の部分で違うと、方向性が同じように見えてもなかなか足並みはそろわない、そんな気がしています。

Copyright © 2021 私は社会化のドッグトレーナー All rights reserved.