先程FBで投稿したものですけど。
ココちゃん、踏ん張って今は落ち着いています。静かなほど(笑)
私たち人間が思うより彼らはたくましく、そして今を生きる動物。過去を引きずらない、のでしょうね。
りか子さんの記事。
『群れのメンバーを一頭失った後』
の記事を読んで、すぐに我が家の状態をお話ししたかったのですが。心落ち着くまで周りから慰めを頂くことが、慰めにならない人もいるということで^^;黙ってきたわけですが。時は確かに心を癒しますね。
慰めはその時心や感情に蓋をしたり、本当の悲しさを紛らわすことはできても、癒すことはできないのかなぁと、またまたわがままですが思ったりしています。
時間は本当に優しい。
で、メンバーを一頭失った。カレンがいなくなりチャーリーがいなくなり。猫はたくさんいるけど^^;犬は一頭。ココは一体どうなっちゃうんだろうと。
ただ、亡くなって一週間。りか子さんの記事と同じような感じがココにもあったんですね。
やった~~~♪私一人占め~。みたいな。
不思議でしょう?
まあそれだけ人間のメンバーとの結びつきが深いと言えば深いのでしょうけど。
庭の芝をはりかえて。その時一気にチャーリーの匂いが薄くなった時
ココのあれ?という表情と遠くを見る目を見て、その時のココの中の複雑な感情を感じたんですね。
「チャーリー、、ちゃんとココに説明してね」
って。
ココが健気に踏ん張っているのですから人間が踏ん張らなくてどうして犬を守ると言えるのか?ということかなぁと。
人間だけだと甘えきって生きて暮らしてしまうけど、いろいろなことを教わって、まだまだ自分にも伸びしろたくさん^^;と思うわけです。
一つ言えるのは。
チャーリーのしんどさに寄り添うようにいつも一緒にいたココは、チャーリーを見送って一気に体も心も休められているのではないかな?ということ。
実は失って踏ん張っていたのではなく、見送るまでの踏ん張りこそ試練で。
それこそが、見習うべきものなのでしょうね。
ココと一緒にトレーニング(4)・マグネット
[いろいろなトレーニング法について]
2011年1月20日 15時0分の記事
一回目は、名前=良いことと関連づけるためのレッスン。
と
マグネット(おやつを一つ指でつまんで、犬の鼻先に持っていき
まるでおやつが磁石であるかのように、あなたの指と犬の鼻がくっついたまま
動かせるというもの)で犬を動かしました。
チャーリーだったらどこにいようと、すっ飛んできて
まるで瞬間接着剤でくっついたように動くんですけどねぇ・・・
トレーニングで使うマグネットとは?
おやつを磁石に見立てて犬を動かしますよ。
遊びのルールは簡単です。
犬が鼻先を手にくっつけてきたら正解です。ご褒美につまんでいたおやつを
食べさせます。
最初のうちは、手を犬の鼻先で左右に動かすだけでいいです。
顔が左右に動きました?
「よ~し」
でご褒美。次はもう少し誘導時間と距離を伸ばしますよ。
どんどん伸ばして、
くるりと回らせたり、足元につけさせたり、
飼い主さんが後ろに下がりながらついてこさせたり・・・
アイディア次第でいろいろ動かせます。
実際に行っていただくと、おやつと犬の鼻が離れている方が多いかな。
これでは、おやつを見せびらかしている状態になりますので正解ではないですね。
ただ・・・その時おやつ、というか行動することを拒否する時は
カーミングシグナルである、そっぽを向く状態が出たりします。
ココがお教室でそうなったりします。
そういう時は大きめのおやつが有効です。
「何~!そんな大きなの見たことないよ~」
みたいな。。。
第一回目に持って行ったおやつは4種類。
かなり小さくしてトリーツポーチに入れて行きました。
でもね、
いつもは食べるおやつも、見向きもしないんですよ。
豚レバー、ササミ、ソーセージ、チーズ・・・全部撃沈。
原因は緊張によるパンティング。
ハァーハァーするやつね。
立たされっ子みたいに、うろうろしてるし・・・
でも、無理に座らせたりしないようにと、様子を見ましょうという
先生のお言葉もあって、十分観察してみました。
そんなココですが、一瞬で元気が出た時もあります。
元気を出したものは何でしょう!
私の語りかけ!とか言ったらカッコいいですが、違います。
デビフのスナックジャーキー(爆)

(チャーリー店、置いてないし・・・)
そういうジャンキーなもの、有効ですかねぇ。
そうでなくても人からもらうもの大好きっ子ですからねぇ。
飼い主として恥ずかしいくらいに、夢中で食い付いてましたよ~。
奪い取るという言葉がぴったりなくらい・・・
マグネットも、動いている最中に犬を褒める、って大事なんですよね。
正しい行動を強化します。
おやつで釣っているんだけど、それだけじゃないよ、ということは
この褒めが出来ているかどうか,で決まると思います。
昨日は4回目。初級コースは残すところ1回です。
求められるもの宿題もかなり高度になってきて・・・うーん、必死です。(笑)
そんな中、ココは急成長を遂げてます。
行きの電車の中でくつろぐ時間が増え、帰りにはなんと!寝られたんですよ~。
しかも、お教室で今まで絶対に伏せなかったのに、伏せることも出来ました。
もちろん自発的に、です!
休憩中ね。そして回が進むと「マテ」のトレーニングに入るのですが、上手なんですよー。
毎回始まる前に私自身トイレに行くんですが、
ココはお教室に残されるのね。
先生と他の飼い主さんはそれは心配だったみたいです。
はぁはぁ言ってるし・・・パニックになるんじゃないかって・・・
「普通こういう状態で置いていかれるとみんな大変なのに」と先生。
(「待ては上手なのよ~」私の心の声^^)
ココには分離不安のトレーニングは早いうちから行っています。
5ヶ月でブリーダー宅から来ました。それまで外に出たことが無かったココ。
来て数日後から
私がいないとそわそわ・・・現れていましたからね。
それはまずい、と感じました。分離不安は犬に最もストレスがかかると思っています。
心身に悪い。
だから5ヶ月からず~っと必死に、だけど、さり気なくトレーニングを行ってきたのです。
誰に迷惑がかかるわけじゃない、とおざなりにされる「一人で待つ」ということ。
犬にはかわいそうなことだと、私は思うんです。自信の無さ、
人間社会で生きるときに
何かが欠けているか、満たされていないか、安心感がもてないか。
なのかもしれないでしょ?
他に持っている音恐怖症はなかなか厄介です、取り組みが難しい。
それと分離不安の結びつきが怖くて、本気で取り組んだ成果が
今現れているのかなと、感慨深いものがあります。
私にとってトレーニングとは、犬を社会に迷惑のかからない存在にする
ということより、その犬自身、いかに楽しく輝いて生きるか、にウェートをおいているんです。
体裁のためでなく、犬の幸せのため。
犬の幸せが人にとっても幸せであるとき、本当の
共生って言えるのかしら・・・
な~んて。。。
トレーニングの詳細はまだまだ続きますね。
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大き目のおやつ、長めのおやつ、はこんな感じ。

四角いコロコロしたのは、生活クラブのセミモイストタイプのドッ
グフードです。
通常はこれを、5個くらいにちぎってご褒美に使います。
黒っぽい長いのは、お魚ジャーキー。
赤っぽい長いのはささみほぐし。
黄色いのは人間用の
スモークチーズです。こんな感じに長くカットします。
ただし、
ついてくる、という行動を一度引き出すことに成功したならば、
もうすぐに、手の中におやつをしのばせないで、手をターゲットに手についてくるように
動きを形作りましょう。
そうでないと、
おやつがないと動かない、またおやつに異常に反応して
ついてくる、という本来の意味ではなく、おやつを奪い取る、という行動を
強化しかねません。
そのために、どうしたらいいのかな~と思って考えてみたのですが
やはり、一歩動いてはタンタンマーク♪2~3歩動けたらタンタンマーク♪というように
おやつを取ることが正解、ではなく
ついて行く、ということが正解であるを伝えてあげるといいと思います。
先程FBで投稿したものですけど。
ココちゃん、踏ん張って今は落ち着いています。静かなほど(笑)
私たち人間が思うより彼らはたくましく、そして今を生きる動物。過去を引きずらない、のでしょうね。
りか子さんの記事。
『群れのメンバーを一頭失った後』
の記事を読んで、すぐに我が家の状態をお話ししたかったのですが。心落ち着くまで周りから慰めを頂くことが、慰めにならない人もいるということで^^;黙ってきたわけですが。時は確かに心を癒しますね。
慰めはその時心や感情に蓋をしたり、本当の悲しさを紛らわすことはできても、癒すことはできないのかなぁと、またまたわがままですが思ったりしています。
時間は本当に優しい。
で、メンバーを一頭失った。カレンがいなくなりチャーリーがいなくなり。猫はたくさんいるけど^^;犬は一頭。ココは一体どうなっちゃうんだろうと。
ただ、亡くなって一週間。りか子さんの記事と同じような感じがココにもあったんですね。
やった~~~♪私一人占め~。みたいな。
不思議でしょう?
まあそれだけ人間のメンバーとの結びつきが深いと言えば深いのでしょうけど。
庭の芝をはりかえて。その時一気にチャーリーの匂いが薄くなった時
ココのあれ?という表情と遠くを見る目を見て、その時のココの中の複雑な感情を感じたんですね。
「チャーリー、、ちゃんとココに説明してね」
って。
ココが健気に踏ん張っているのですから人間が踏ん張らなくてどうして犬を守ると言えるのか?ということかなぁと。
人間だけだと甘えきって生きて暮らしてしまうけど、いろいろなことを教わって、まだまだ自分にも伸びしろたくさん^^;と思うわけです。
一つ言えるのは。
チャーリーのしんどさに寄り添うようにいつも一緒にいたココは、チャーリーを見送って一気に体も心も休められているのではないかな?ということ。
実は失って踏ん張っていたのではなく、見送るまでの踏ん張りこそ試練で。
それこそが、見習うべきものなのでしょうね。