私は社会化のドッグトレーナー@犬の森

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

【ブロマガ】自分を表現する自由

自分を表現する自由、その自由を保障するもの として人間がわが注意してあげたいのが リードでの過剰な制御 です。 自己紹介時に横につけたり座らせたり、輪に入っていなければいけないとか そういうものを求めないのは 自分を表現する自由を妨げられることによって生まれるフラストレーションが 次に人間がわが受け入れられないアグレッシブな行動に結び付きやすい、からです。 たとえば、 動画の中でルビーちゃんが色々なシグナルを出しているのがわかると思いますが 脚側位置で伏せていられる子だとも思いますが、それを強制することで 場の落ち着かない空気がいたたまれなくなって、あっちへこっちへ、びっくりするくらいはちゃはちゃ動きたくなってしまうかもしれません。 自分もじっとしていられなくなるんですね。 私は犬を連れていませんので、自由に輪の中にいる犬を見渡せますが、 そこで落ち着かないなぁと思う犬と視線が合いますよね。すると瞬きしたり、そっぽを向いたりして カーミングシグナルを出すようにしています。 そのように遠隔でシグナルを犬に出している方、いますか? ルビーちゃんのしていることはそういうことです。

今年の座学は動画を使って行います。小さな会場でしたら、清水の舞台から飛び降りて買ったメモリースティックを使えるでパソコンいらずのプロジェクターが活躍してくれるかなと思っています。 テキストは今年は私の本と、ボディランゲージを読むうえでの基本の考え方をしっかり基礎固めしたいのでヴィべケさんのシリーズのvol.1を使っていきます。ボディランゲージの読み方は一つではない、というのはその読む人の主観が入るからです。主観を種(犬)の正しい理解の上に作り上げてその上で読みます。 犬の支配的、ステータスの考え方は大きく変動しています。 何より犬の群れの中のステータスもその時々でダイナミックに変わります。犬のステータスの主張を人に向けるのは犬が過酷なストレスフルな状況に置かれているからです。私はそう思います。 だからいつもおどけた犬が守る時には瞬時にリーダー的な表情に変わる。そういう静から動、そういうフレキシブルな生き方も、犬から人間は学ぶべきでしょうね。 そこのところの考え方を柔軟にできないと、経験の長い方でも読み違えるんだなぁと、思った次第です。

もう一度こちらを↑ ルビーちゃんの母なるまなざし。 カエデさんとデモするときは仔犬のような、舌ベラが横っちょから出るような^^;うっひょ~! 的なおどけた様子を見せて笑いを誘ってくれます。 が、犬たちの緊張を見るや否や、 舞台を見守るお母さん^^;の気分になるんでしょうね。 「いい、あなたたち、こうやって落ち着くのよ」 みたいな。 この時尻尾が非常にリラックスしているのは、散トレの場自体が叱りのないリラックスした状態であるから この場には危険がないからではないかなと思います。 知らないよその犬が近づけば、一転、尻尾は上がってくるのではないかな。 あ、でもルビーちゃんはあまり尻尾をあげない子かもですね。 FBに投稿したもう一つの文。

ダルメシアンの福ちゃんの尻尾、古くは黒ラブはなちゃんの尻尾。尻尾は雄弁に語るとは言われつつも、その読み取りってどうなのかなぁと、数年前から思っていたのですが。ヴィべケさんセミナーや書籍DVDで学んでいくにつれて、その疑問がだんだん解決されていくのですね。 力の誇示、とされていたものですけど、自分の知識ではどう見てもそうかなと思う形が 『癖』(アスラン君の尻尾) とか、弓なりの尻尾が、攻撃的な心情を示すと考えられているのに 『攻撃するつもりはないんだ』 であったり。 なので、実際、その弓なりの尻尾に触れてみると、柔らかく思ったより力が入っていなかった。しかも触れるとこちらを向いて左右に尾がふれる。 何頭か試したんだけど^^; 今までのボディランゲージの読み方以外のものをもっと広く学ばないと、読み違えているかもということはあるなと。 そんなことを思います。 だから画像で見るのではなく、人間がポリスマンになって介入する意味は読みを間違えないということでもあるし、犬同士の緊張から犬を開放することでもある、と思います。 犬の地位は固定されたものではないし、固定させてしまうから犬に過度なプレッシャーをかけてしまうのだと思います。=ストレスがかかりすぎる。 人間をあてにする犬、そういう犬になってほしい。

尻尾があがっているとどうしても 自信満々 攻撃的な態度 ステータスの主張 という元来の考え方があると思うのですが、ヴィべケさんのお話を聞くと それ以外の見方、読み方があるな、と。というより、そもそも犬が主張する意味を過大に評価するというか 大げさに取り扱わずに、癖とか、気分とか、その時はそう思ったとか ゆる~りと考えてあげることが大切なのかもしれないなぁと。 だからシグナルを読むにしても、いかに人道的に、もっと言うと 犬のフレキシブルさを想像できるかどうかということ、決めつけや思い込みで答えを一つに絞らないことが大切なのだと思います。 犬に聞いてみなくちゃわからないことですしね^^; で、こういうことになります。↓

犬たちの緊張、興奮の高ぶりがちょっとした攻撃性の片りんを見せるとき、人間側がそれを見逃さずにいたずらに矯正をしようとしたり、「この攻撃的な行動は今のうちに何とかしなくては手が付けられなくなる」と、読み違えて。 その時だけ、その過程だけの高ぶりであったのかもしれないのに。 その読み違いから、小さなキャパの攻撃性を表に出す犬(多くは不安や困惑からの攻撃)に愛情遮断的な対処を行うことの愚かさ。 もっと犬を追い詰め、もっと犬から人を遠ざけ、もっと人は攻撃性を恐れるようになる。 我々がいらっとして攻撃的な気持ちや態度をとっても、人を傷つけることなどしない、多くはそうなのに。犬はその「時」を見逃されないのだからかわいそうだな。

こういうシグナルを多発するからこの犬はこういう犬、と。 攻撃的な行動をとりやすい犬は、それに人間からの叱りが加わりどんどん追い詰められます。 その時はそうだった、 だからその時その行動をインターセプトしてあげればいい、ただそれだけなのに 延々犬を苦しめる罰で攻撃的な火種を大きくさせるのは・・・人間なのですね。

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