シーザーミランの本にも「ホームレスの犬は幸せ」ってありましたが、そうかな、とも思うところはあります。でも、この日本でそれを言い出すことがむしろ飼い主を追い詰める、飼育を追い詰める、考えをむずかしくさせるところがあるのかな、なんて考えます。
だって、リードをつけることが義務づけられているでしょう?
ホームレスの犬はオフリードで、自分でスペースを決められるんです。怖いと思った時自分でスペースを広げられるということ。
リードつきでは、広げられたとしてもそのリード分の長さ。
退路が保てられていない犬たちのフラストレーションがあります。
だからそのために、危険か危険じゃないか逃げ出すほどではないかどうか?落ち着いて考えられるように社会化を図るわけです。
ただ、犬目線で…。危険だから吠えてみた、それすらも叱られたら?
最も危険ではないはずの飼い主に叱られたら?ますますフラストレーションはたまりますね。
何が言いたいのかというと、犬はかなり窮屈な社会に生きているということ。せめてその窮屈さに理解を示せたら、
何が幸せか、について安易に言葉にはできないのかなと思うのです。
まあまあで、その家庭なりに、福祉に反しないような努力が行われる限り、犬たちの幸せは家庭の数だけある、そんなことを思います。
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ということを考えて、散歩時のリード使い
リードに頼らず、声でのコンタクトが図れるように練習しましょうね、というトレーニングをお願いしています。
今できないからできるように取り組むわけですね。
うまくいかないから、取り組みます。
うまくいかない・・・。プロのスポーツ選手だってうまくいかないから練習するわけだし。
うまくいかないのは方法が悪いのではなくて、やり方が悪いと思わなければ、トレーニングのセオリーはいらないってことになるでしょ?
正しい道具を正しく使うことが大切です。
飼い主の声掛けやおやつで、過剰反応する。
古典的条件づけのつもりで行っていることが、犬の行動を強化しているとしたら、古典的条件づけが間違いではなく(間違いなわけがないですけど)使い方が間違っている。
飼い主が間違っているのではなく、使用法が違うのです。取説はしっかり読むことが大切ですね。
今日も素敵な一日を♪