仔犬に自由を与えないと(意見を聞かないと)将来お伺いばかり立てるようになるだろうか? 馬鹿に長ったらしいタイトルになりましたが^^; コントロールとかトレーニングとかを耳にするといや~な気分になる方^^; まあそういう方はここには来たくないのかもしれませんが、犬に自由意思を,と考えたい方々の中には 極端になりやすい傾向があると思います。 自由を与えないというと拘束しまくっているイメージがあるし 意見を聞かないというと、がみがみコマンドばかり出しているように思うのかな? そんなペア、なかなかいませんよね。^^; お伺い・・・ 私は立てないより立ててもらった方が嬉しいかなと単純に思いますけどね。 だってうちの犬だもんね。 お伺いばかり立てる・・・そんな犬いないでしょ?実際いない。 白か黒かでなくても良い。 むしろ命と付き合う時は白くて輝いた心で^^;グレーでいたいとさえ思います。 中途半端とかではなく 臨機応変、 成長過程に合わせて その個性に合わせて、というように こちらの柔軟な態度が求められますから、だから叱らない飼育はきついんですね。 冷静でないと無理ですから。 パピートレーニングの時に大切な項目として飼い主の元にチェックイン、というのがあります。こちらで初めて目にした言葉 ![]() http://adsummers.shop-pro.jp/?pid=45338416 「ママ、遊びに行っても良い?」 と許可を受けるためですね。 一つのルールを授けるわけです。 もちろん、そのルールを決めて遂行する時には、しっかりした結び付き(社会欲を満たして 一緒にいたいと思われる人でなければいけませんが)があることが前提です。 はっきり言ってコントロールですね。 ただし、一旦そういうルールを身につけ、コントロールも受け入れるよと犬が了解したら 思春期の紆余曲折は少なからずあるでしょうけれど、成犬になって2~3才、落ち着きはじまた時にはちゃんと自制出来て、自分で判断できるようになるはずです。 その頃判断できていないのは、あまりにも強制が長く続いているとか、コントロールして欲しい時にされていないか、ではないかなと思っています。 仔犬は赤ちゃんですから、きっちりと保護して導いてあげなければですね。 私が叱らないしつけにたどり着いた時、そこに広がる、尊重が むしろ犬に不安を与えるものであるのでは?特に日本では、という思いが強くあり、今でもそれは持ち続けていますが、 それは・・・私の中で強制的な発想が抜け切れていないからだろうか? と考えることもありました。 でも今はっきり言えることは 多くの犬は(日本の犬は)繁殖家の元で正しい人間への社会化がなされていない、 そういう犬に、多過ぎる自由を与えることはむしろ犬を混乱へと導いているのではないのか?ということ。 (自由を与えるなではないのです。与える自由を人間が調節してあげられなければね、ということ) 混乱した犬は、混乱の元=飼い主といる時に混乱するのであれば 飼い主=混乱と条件づけているようなものでしょう、 日々それが続けば、飼い主の声に耳を傾けることはないのかもしれません。 その行動が「犬が自分で考えて行動していると=頼もしいと」考える人にはコンタクトの意味は理解できないでしょうし、その重要性についても理解できないだろうと思います。 まあ、コンタクトトレーニングとは人間への社会化、と言い変えることができると思いますが。 日本では、ここの部分がまだまだ弱いのではないかな? 社会化とトレーニングの関係が、うやむやになっているのではないかなぁと感じています。 社会化について、もっと深く考え伝えていけるように頑張らないと。 **************************** 以上転載しました。 またはこちらの記事
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