私は社会化のドッグトレーナー 第3章

犬の森発 吠える咬む犬の問題行動研究所 @小田原

仙台座学、無事終了いたしました

11月12日(土)予定していた仙台座学、無事終了いたしました。
受講者様、ご参加いただきましてありがとうございました。
慌ただしくて時間が足りなかったですね。もっともっと・・・話すといつまでも話し続ける私です。^^;
普段は寡黙です。(槍を投げられそうな発言かな?^^;)

読者歴の長~いマッシュルームさんが幹事さん。
会場の手配からランチの件までいろいろありがとうございました。
さらに、散トレ開催を目論んでいますから^^働いていただきますよ~。(笑)



3月11日を意識的に記憶から外すように努力できる私のような被災地以外の人間。

いまだ不自由な生活を強いられる現地の方々。
すっかり復興の波に乗れた方もいれば、取り残されたように苦しい思いで毎日を過ごされる方も多いわけで。
日暮れて行く土曜日の繁華街は賑やかでした。
力強いですね。ただ、その力強さが、弱者に優しいまなざしを向けるものでありますように。



初めましての方の中にはコメントを下さったり、メールカウンセリングをしていた方がいたり
ブログの読者さんつながりだったり、いろいろなご縁があるわけです。
犬がいなければ、つながらないご縁でしたね。もっとたくさんの縁につながりますように。


単発の座学では、総論的な内容になるのですけど・・・丸投げします^^;

http://blog.livedoor.jp/saba222/archives/51910271.html
http://blog.goo.ne.jp/sippo-sippo03/e/fdb7f52c11b2a312af85943a2a7b72df

これからも進化し続けなくてはいけない、と言うのは自分に対する命題です。
この世の中には自分の知らない事ばかりで、知っていることさえ自分には正しくて
人には無用のものであるかもしれないよね、というのは常々頭の片隅に置いてあります。
知らないことに会ったとき、自分は謙虚でいられるかということとか。

しつけやトレーニングを語る時、自分の犬の理想、理想のしつけ法を普遍化しないようにしたいものだと。
自分の知っている方法ではなくても上手くいくことの方が多いわけですから。
求心的ではイカンよね、ということとか、色々考えています。

意識して失敗する人はいないんですよ。
意識して人を陥れようとすることはある・・・
人と人とが分かりあえないのに、犬のことがどうしてわかるでしょうか?
犬の感情まで立ち入って寄り添おうとするとき、その人が人として凛とあることが犬たちからの信頼を得る
一つの道なのかもしれないですよね。
抽象的すぎるかな?
悪意のない心の優しい人でありたい、ということ。
白黒をはっきりとさせたい人が犬をしつけると犬を追い込みやすいような気がします。
まあまあで上手くいきますよ。暮らしだから。
そこにあるのは、折り合いのコミュニケーション。失敗したり、許したり。
「叱らない」ということは失敗を認めることではないし、正しいことを教えないことではないです。
連れている犬が失敗した、それは飼い主の失敗か?
犬が失敗したんですね。
だからこそ、次は犬に失敗させないように飼い主は毅然と頑張るのです。
飼い主の失敗と責めることは、八方ふさがりに追い込みます。追い込まれるから放棄に至る、
そういうケースが多いのです。
飼育が難しい、そう感じる犬を育てている方が集うチャーリー組です。
それでも、あきらめずに頑張れるのは、追い込まれないようなサポートが常にあるから。
四方八方から。
私の気づかないところで、助け合い励まし合うコミュニケーションが存在するからなんですね。

座学にお邪魔して、いつもそのことを強く感じます。
皆が先生ですね。乗り越えたら終わりではなく、助けが必要な人に力を貸す。
延々と続くコミュニケーションがそこにあると思います。
「良い犬にしなければ」
と言う呪縛から解放されるべきだ、って思います。
まあまあではいけませんか?



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