またまた、勝手に独り言を言います。 ・・・・ 犬になぜ、「しつけ」をするのか・・・
それは種の違う動物として共存するため・・・
まあ、人もしつけられなければいけないですので、 種の違いは関係ないのかもしれませんけど。
では・・・ 共に生きやすくするため、といった方がいいのかもしれませんね。
人と人、一人で生きていれば感じる事のないストレスや軋轢、 人と人が大勢ひしめき合って生きている中ではプレッシャーになるほど大きな軋轢もありますよね。 で、軋轢を少なくしよう、という意味でのルール作りが、「法」であったりするわけで、でも 法があるから争いごとがないか、とは言えません。
ストレスもなくなることはないですね。
犬も動物も同じです。
大勢の中の一頭。 プレッシャーもたくさんあり、ストレスも感じることでしょう。 犬にとっては、許容範囲を超えたことばかり、起きるのかもしれません。
その、犬の困ったに対応するために、「しつけ」を施すわけですけど、 しつければ、ストレスや軋轢がないか、といえばないわけがない。 ではなぜ、しつけるのか、ということですが・・・ より良さ、を求める、ということですね。それぞれの。 だから、絶対、っていうことはあり得ないのですよね。 人もそれぞれなわけですから。 だから、たとえ私が「こうした方がいいのでは?」 と提案しても、その人が実行するかどうかは定かではない。
しつけとは、そういう曖昧さもあっていいのではないかと思います。 いつも言いますけど、犬にとって理不尽でない限り、いろいろがあってもいい、と思うわけです。
多頭飼いのストレスよりも、多頭飼いの楽しみを感じる私です。
人も犬と共に暮らすという事で、私という人間も多頭の中の一つの存在。 人間だから偉いんじゃあない。 私はそれで結構なんです。 (そういう生き方も良い。違っても…良い。絶対はないし。。。)
結構ですけど、なるべくゆるゆる生きたいので、 犬達猫達の考えている事がわかるといいな、 何がしたいのか、わかるといいな、という意味でのシグナルのお勉強ですし、 人間社会ですので、ある程度の押し付けは必須であると思います。
理不尽な要求はNG,ということ。 それが私の考えるしつけですかね。 しつけされているから、問題がないのではなくて、ひょっとしたら?犬が経験によって学ぶほうが大きいのかもしれない。 (そのうち落ち着きます、ってやつ。 ガウガウ言ってた犬も、次第に丸くなることもあります)
しつけがされていても、 命ですから、 ストレスがあるのは当然なんです。
ストレスがあってはいけない、というのではなくて ストレスから早く立ち直れるような、たくましさが欲しいね、 そのためのしつけ、でもあります。 オフリードのほうが犬にはストレスがかからないのは承知ですが 法で禁じられているので、できませんね? 犬はストレスいっぱい・・・? では、ストレスのかからないような人と犬との関係を作り上げて 人が犬を守り切ればよい、それもしつけ。
お外での排泄の方が犬には自信が付くし、犬の生態にはかなっています。 しかし、条例で戸外での排泄が難しくなっていけば 犬には過酷な室内での排泄も、トレーニングせざるを得ない、これもしつけ。 人間側の勝手かもしれませんが まず、暮らすことがそこにあるのですから。 この国で。
そしてそれは、一緒に、共に生きることから始まっています。
犬は、人間の拗ねた子供のように 「産んでくれとはいってない」(犬を産めませんから、「飼ってくれとはいってない」ですかね) な~んて言わないです。可愛いですね。 だから私たちは必死になるんですよね。
十分なことをしてあげているのだろうか?・・・って。
そういう気持ちがある、というのなら大丈夫ではないかな?
優しい気持ち。思いやり、かな。 あまり堅苦しく考えないでいただきたいと思います。 特に、ここに来てくださる方はまじめな方が多くて、必死になりすぎる傾向があります。 ほどほどであったり、ゆるゆるであったり、 相手の犬が無作法であっても、「なあに!?あの犬は」 なんて目くじら立てるのではなく、まず、そこにいることを認め合いたいな、と思います。
でなければ、育てることとか、飼い続けることとか 苦しくなったりしませんか? 目の前にいる犬たちを、幸せにすることが、不幸な命を作らないことになります。 あまりにハードルの高い飼育では、それさえもかなわなくなるような気もします。