私は社会化のドッグトレーナー

チャーリードッグスクールCDSオフィシャルブログ

【ブロマガ】古典的条件づけを重視するトレーニング・しつけという意味

おはようございます。 8月最後の日、日曜日ですね。 8月の座学がすべて終了しまして、一応座学のまとめ的な内容をブログアップします。 9月の名古屋座学は、その点をもう一度復習して、 なぜこんなに情報が(正しいと思われる情報が)多いのに、なんとなくうまく行かない、確かにうまく行かない、と感じる人が多いのか?遺棄される動物の話が後を絶たないのか? 考えてみたいと思います。 犬のことだけど、自分一人の世界ではないということ、犬と犬の間に人間が介入すること、これって当然のことなのですが、人間の社会だから、 でもそれが問題の始まり、しかも問題を問題としてとらえられる大きな原因だと思ってます。 問題のとらえ方、そして対処の仕方が、犬的にどうか?人としてどうか? そこまで考えたい。そして、今頑張ればよくなることより、今辛抱して今を楽しく過ごせる工夫が明日の犬との暮らしを作る、ということをもっと良く考えていただきたいのです。 しつけ病のごとく、今頑張らないと、将来困る、という必死さが、問題の多くを形作っているように思えて仕方がありません。 起きてくる問題を人間同士が知恵を出し合って、何とかうまく行くように環境を改善し、励ましあい、心が豊かになる方法を選択して、あたっていけるように。 まずは、罰的手法の是非を問う、ことは必須だと思います。 「大丈夫、そのうち大変じゃなくなる」 は、大変な人には届きません。どう大丈夫になるのか、実践そして説明ができるように、頑張りたいと思います。 今日もよろしくお願いいたします!
s-flower5029.jpg さてさて、まとめに入らせていただきます。 犬が吠える。 吠えって直すのに最も難しい犬の行動ではないかなと思っているんですね。 犬が咬む、という時多くの体罰的な方法で咬みを押さえて一見行動が表に現れないことで直った、とされることは多いです。咬むまでの期間が長くなっていrのかということの検証はされないままですので、本当に咬まないのか? はその家族でなければ知る由はないはず、と思ってます。 直ったと、そういう方法でも直ればいいと・・・思う方は咬まないなら吠え位我慢できる、 咬まれないなら犬が怯えてブルブルしていてもそれはそれで仕方がない、とか そういう言葉を耳にすることがあります。 犬の感情のエスカレーションとして中くらいに位置する「吠える」 吠えが通じなければ唸って咬む、に移行します。 このように考えれば、犬が思っていることが通じれば(いいかえれば満たされるということ)吠えなくてもいい、 犬にとって吠える必要がない、と考えられませんか。 これはオペラント行動の吠えについての考え方です。 さらに考えていただきたいことは びっくりした、驚いた、うれしい、そういう感情の発露としての「吠え」という行動は 行動の前に原因があり、それは?レスポンデント行動ではないでしょうか?ということ。 行動の後の結果をいじっても行動に変化がない、と言われるレスポンデント行動です。 吠えの原因は吠える対象物が登場したから。それにびっくりした、怖かった、驚いたという感情が反射的に現れ反射的に行動が出る。その結果いろいろなことが起きて、吠えによって環境・刺激を変化させられたと認知した犬が 吠えの行動を強化することも、あるでしょう。ただそういうオペラント行動による強化の吠えは、比較的矯正しやすい、だから矯正しやすい吠えがあるから、あらゆる吠えをそれで対処してしまう現状がある、だからこじれるケースがある のでは?そう思ってます。 最も大切なことは、 行動の前の刺激に対する脱感作(社会化、対提示という古典的条件づけ)と 一旦起きた感情を整える作業(=二次強化子を対提示、ぶつけることによるなだめ作業、古典的条件づけ) であると思います。 というように考えると、 犬の大脳皮質の働きがいまいちな^^;動物にとっての本能的な反射的な、人間にとって都合の悪い行動は 叱りで弱化されるべきでもなく、 負の弱化という刺激を消す作業でもどうにもできない(なぜならレスポンデント行動だから) と考えられないでしょうか? ということ。 嫌子による弱化はさらにNG,であることが推測できます。 なぜなら?そこで行われる強化は古典的条件づけですから、ポジティブな古典的条件づけで登場させる条件刺激は 好子でなければならないからです。 どちらを重視すべきか、ということで古典的条件づけを重視しますが 犬たちの必死な訴えに対して^^;オペラント条件づけによる行動の構築も同時進行で行わなければいけません。 どちらかではなく、どちらも大切。 ただ、見落とされがちな盲点でもある、直しにくい問題行動、種が違う犬としての行動が 複雑な人間の行動を考えるために生まれた行動分析学がカバーできるか?ということに疑問を持ちつつ 今まで研究してきたわけです。 行動そのものを考え直すことによって(これこそ犬と人間の違いでもあったりしませんか? カーミングシグナルはひょっとしたら彼らにとっては、無条件刺激なのかも?という考え方も私の中では 生まれてきているんです。だから、犬に慣れている人、犬との接し方の上手い人のインターセプトは 対提示で二次強化子にしなくても彼らに伝わる=無条件刺激として機能できている、からでは? ということを今も考え続けています。) 接し方を変えるべきだ! 行動の前の刺激と感情をいじっていかなくてはいけないのだ!? と・・・。 まだまだずっと研究しつつ、歩み続けたいと思っています。 8月もこれで最後の記事ですね。ご購読ありがとうございました。 9月もどうぞよろしくお願いいたします。