私は社会化のドッグトレーナー

チャーリードッグスクールCDSオフィシャルブログ

亮子さんの記事の転載をさせていただきます

思春期のお話し、一区切り(またちょこちょこ出てきますけど)にしますね。 昨日もお話ししましたが 飼い主さんの弱気の虫がいかに犬に影響するか・・・ 「なぜですか?そんなことあり得るんですか?」 と聞かれても、 今まで聞かせて、見させていただいて、 そう感じますので、私はそう思うわけです。

犬に癒される、癒してもらう、そんな発想からは、 犬の心の港になる、という姿勢は生まれませんので注意していただきたいと思います。

支配性理論を唱える方に、その材料を提供するのは 飼い主さんの弱気の虫なのではないかな・・・?と ふと心配になったりもします。

さて、その弱気の虫・・・ そんなものをお持ちの方が、私の唱える「叱らない」を実践した場合 一体どんなふうになるでしょう?

どこまでも犬にやりたいことをさせて、制御の利かない どたばた犬にしてしまうはずです。

叱らないとは、甘やかすことではないのです。

なかなか、私のまとめ方、お話しの仕方が稚拙でして・・・ 上手く伝わらないことに悶々としたりする中で、 亮子さんが素晴らしい記事を書いてくださいましたので転載させていただきます。

今日もわんにゃん日和 http://rayandmeme.blog83.fc2.com/ 保存版ですね。

お写真等はお借りしていませんので、転載元に飛んでいただいて もう一度確認していただくとより心に響くと思います。 では、以下転載記事となります。(亮子さんお借りします。ありがとう)


「叱らない」というテクニックと命への思いやり

ぽむを保護したときから、犬の「叱らないしつけ」について、もう一度考えるようになりました。

発端は、咬む、唸る、なつかないぽむを、普通の感覚で叱ったら、よけいに反撃するように咬みがひどくなり、おびえたからでした。

●家庭犬として当然受けるべき愛情を受けていなかったらしいこと。

●いきなり遺棄されて、不安と恐怖に突き落とされたこと。

●他の犬や人間、外界のいろいろなことに、中途半端にしか社会化していなかったようであること。

●ネグレクトによって、ひどい体調であったこと。

●人間との信頼関係を、築いたことがどうやらなかったようであること。

こんなぽむにとっては、どのような行動に対する「叱り」であっても、それは「悪いことを諫められている」とは受け取れず、「攻撃されている」と取っていたのです。 ぽむにとって必要だったのは「安心してそこにいていいよ」という生存の保証と存在の肯定、つまり生き物にとって根源的な、当たり前のことだけでした。

「叱ることができない犬がいる」 私にとっては、衝撃的な出来事でもありました。 そして、ぽむに教わった、とてもとても大事なことだと考えるようになりました。 ・・・・・・・・・・・

ぽむを「叱らない」に関しては、チャーリーママさんのアドバイスを受け続けたことはぽむのブログに記している通り。

最初は、とにかく「叱らない」という言葉にこだわっていたように思います。

たぶんですが、「叱らないしつけ」というと、眉をひそめたり、甘いんじゃないのと思う方は、私と同じく「言葉にこだわっている」のではないかな、と最近思うようになりました。

「叱らない」は、犬を脅したり、強い不快を与えることで「禁止」を教えることはしないということ。もちろん、体罰は使いません。マズルを不作法につかんでひっくり返したり、リードショックを入れることも、この場合の体罰に当てはまります。荒い言葉、怒鳴り声に相当する声は、犬に対してかけないということも含みます。これは大前提。 でも、それだけが「叱らない」の要点ではないと理解しています。

その裏側で人間サイドが考えねばならないことこそが、叱らないしつけの要点になっていくと感じています。

ぽむは、叱らない方法が見事に功を奏しました。

咬むことがなくなったわけではないけれど、その必要を本ワンが感じることが少なくなり、 咬もうとすることにある程度の抑制も利くようになり… 何より、人と信頼関係を築く幸せを、ぽむは得ることができました。

今、幼い子たちも含めた新しい家族の中で、愛され、幸せに暮らしています。

さて、翻って、クウカイはどうだろうか。

見えてきたものは、クウカイを叱ってしつけたことの、後遺症ともいえることでした。 もともとは、私自身、4年前のクウカイのしつけでは、叱らないしつけを提唱する中村ドッグスクールの中村太トレーナーにつきました。

あれから年月が経ち、私は、安易にクウカイを叱ってしつけるようになっていました。 中村トレーナーからは教わってないはずのリードショック、「NO!」とキツイ声を出す叱り飛ばし。

あれれ、どこで覚えたのかな、私(^^;;; 「それが常識だから」と何も考えずに、叱って済ませてたのだと、気づきました。

飼い主の怠慢、と言い換えるのがいいかもしれません。

クウカイはもともと、私の言うことをよくきく利口な犬です。 ですが、家族に「おかしゃんは、怖いからね、クウカイのボスだからね」と言われてた。

クウカイは私の顔色を伺っているようで、何かがはつらつとしてない感じ。 家の中では呼んでも来ない。 正確には、呼ぶと、私につかまらないところで止まって、上目遣いで私を見るんです。

呼んで叱りつけたり、手で叩くといった暴力は、もちろん使っていません。 それでも、クウカイは「なぁに? 叱らない?」というような顔をしている。 私という存在が、安心できる存在ではなくなっているのだ、と気づいて、どきりとしました。

クウカイを叱りつければ、ぽむもおびえる、ということもあり、クウカイにも、ぽむと同じ接し方をするようにしました。かなり意識的に、自分の行動を変える必要がありました。 キツイ声の「NO!」を使わない、と決めたら、まるでゲームのようになりました。 それ以外の方法で、NOを伝えなければなりません。

叱らないということは、NOを伝えないということではありませんし、やりたい放題させることでもありません。 犬をしつけるって、人間が本質的な意味で、犬という生き物として生まれて来た家族のことを思いやって、人間としての知恵をフル回転させて、必要な何かを伝えようとすること、ではないかしら。

その中に、YESとNOを伝えるということが含まれる、というわけ。NOを教えることがしつけの第一義じゃないというか。 ここから後は、チャーリーママさんの提唱されることです。

テクニックと思いやりの部分ということになるでしょうか。 (チャーリー組のみなさん、間違ってたら訂正してくださいましね~♪)

●犬が快適に安心して過ごせる環境を整える。不要なストレスを取り除く。

●犬の社会化(すべての物事に慣れさせる)ことを終生続ける。 ●犬本来の行動を否定しない(吠える・噛む・排尿排便する)

●行動を禁止(してはいけない)するのではなく、行動を制止(やめさせる)できることを目標にする。

●興奮させすぎない。興奮しすぎたら、鎮めることを考える。

●犬に伝わる方法で意志を伝える。犬語(カーミングシグナル、ボディランゲージ)を学ぶ。

●飼い主は犬にとって絶対的な安心の存在になる。飼い主さんの声を聞く、存在を意識することで条件反射的に「我に返る」ようにトレーニングする。

●大声を出したり、感情の高低をつけすぎず、淡々と、一貫した静かな、毅然とした態度を心がける。時には気迫も必要。

●犬の正当な要求、必要としていることに目を向け、耳を傾け、心を配る。

ホンキでやろうとすると、決して簡単ではないし、ほんとに頭も体もフル回転することになります。 チャーリーママさんのお散歩トレーニングでは、そんな「フル回転」を習う場でもあります。とっても楽しくて心があったまります。

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間が人間のやり方と都合しか考えず、無理矢理犬に命令に従うよう仕向けるのは、人間という生き物のエゴを押しつけてることにもなる。犬を、ひとつの生命として、人間とは別の生き物として尊重するってどういうことなのかを、改めて考える時期にきているのでは?

難しく言えばそんなふうになっちゃうんだけど^^; 「叱らないでどうするの?」って思う方には… 「叱ってるのに、きかないよの」って思う方にも… 試していただきたいな、と思います。 まる3日、ゲームのつもりで、これまでやってた叱る方法を自分に禁じてみる。 そうして、ぜんぜん違う方法で犬に伝えようとしてみてください。 たぶん犬は「あれ?」っていう顔をすると思います(^^) それと、「なんだか今日はとっても平和だわ♪」って思う自分に、気づくと思います それから、「手が抜けないな」って思うかもしれない 「叱らない」を改めて考え始めてから、クウカイはこんな甘ったれ顔をするようになりました。